人生に疲れた心を癒す、かびそうまのアローマブログ

ぼくでも、人生に疲れた人を少しだけでも支えられたらいいと思って書いていきます...。

たまにはボーッとしてみよう。何かを「感じとって」みよう。

 

昔に比べて早くなった世の中

 

 近年の生活様式は、昔のものに比べると、流れが早くなったようです。例えば、自動車や飛行機が生み出されて、人やものの移動が早くなりました。また、パソコンやネットワーク環境が整備され、情報やインターネット上でのお金の移動は、人やもの以上に早く動き、世界中とのやり取りを可能にしました。それに伴って、仕事の成果を早く求められたり、早く行動できない人々は置いてけぼりとなったり、生活が少し窮屈になった気もします。便利になっていくと、何かが欠けていくといった、閉塞感も感じていくものです。近年の社会で生きる人々は、閉塞感を感じながらも、置いてけぼりになるのが嫌だと、自分自身の体に鞭を打って強引に仕事や行動を早くしようとします。それではその人の心は疲れていくでしょう

時間を取ってボーっとすることのススメ

 

 周囲の時の流れに疲れてきたときは、周りに合わせることをやめてでも、その流れに抗わず、なにも考えずにボーッとしてみましょう。便利になり、それに伴ってあなたに求められるものが多くなったとしても、あなたの時間はあなたのものです。無理をしてまでも、何者になる必要なんてないのです。ボーッとしている時は、何かを考えてはいけません。考え事をしていると、心に“隙”が生まれます。ここから、いろいろな妄想が生まれてきます。この妄想とは、こころを満足させる想像だけではありません。例えば、明日の仕事は上手くいくか、失敗したらどうしようなど、こころを揺るがす不安もまた、妄想の一種なのです妄想が止まらないと、いくらお金を払ってリゾート地に行こうと、温泉に浸かろうと、こころの疲れを解消することはできません。だから、何もせずボーっとして休息することで、いましている行為に心を動かしにくくなるので、心に妄想が湧きにくくなります。妄想が湧かない時間を少しでも作ることで、疲れた心を癒すことができるのです。

何かを感じ取り感謝しよう

 

 ボーっとして、妄想しないようにと平穏を保っていると、何かを感じ取ることがあります。それは、往々にして良い感情かと思います。心が疲れていないときは、誰かや自然のことを、思いやることができるようになります。この思いやりこそ、幸せを感じて生きていくうえで、重要な要因であると思うのです。誰かと比べ合い、ものを増やしていって、物質的な豊かさを追求していっても、心が満足していなければ、比べて作っていくことは、幸せにおいては虚しいことでしかないのです。しかし、資本主義の精神に支配された、いまの先進国諸国に住む人々はこの虚しさと幸せについて見て見ぬふりをします。自分の幸せが精神的な豊かさにあるのに、なぜ物欲を満たすことを重んじてしまうのでしょうか?それはいろいろな理由が上がりますが、それは古い時代の妄想にすぎないと思うのです。昔は、ものが少なく、技術も未熟でした。このようなものが足りない世の中では、生きるためには貯えがあった方が有利、という考えが罷り通るのもうなずけます。しかし、いまの世の中はむしろ、ものがあふれるほど多いのです。いろいろなものが、過去と比べて安価になってきています。したがって、殺気を出すほど努力をしてお金を稼ぐことが、安全かつ幸せという考えで、自分自身に鞭打って働いても、それは過剰であるといえるのです。痛みをこらえて生きていては、周りにも感謝できずに、幸せがわからないほど心が澱むことも、必然として起こるでしょう。この安定指向な思想が、古い時代の妄想であると把握するだけでも、この記事を読んでいただき把握できているあなたは、妄想から離れていく足がかりができていると言えます。

続けていくことで疲れにくい心にもなる

 

 妄想から離れる第一歩は、それが悪い考えの妄想であると、把握することです。また、ボーっとしていることを意識していても妄想は湧きやすくなってしまいます。木を見ず森を見るように大きな流れに乗るかのように心を休めることで妄想は湧きにくくなります。誰かへの思いやりも、自然に包まれていくような感覚も、最初は感じることが難しいと思います。最初はこの記事に書いてあることを意識しても、わからないことが多いために難しいとおもいます。それでもあきらめないで続けることが肝心です。でも無理をしては元も子もありません。とにかくボーっとしてみる、そのための時間を作ることが、大切なのです。大丈夫、あなたは時間を持っています。ボーっとして心を落ち着かせれば、心を癒すこともできます。あなたは幸せになるべき人間です。自信をお持ちください。