人生に疲れた心を癒す、かびそうまのアローマブログ

ぼくでも、人生に疲れた人を少しだけでも支えられたらいいと思って書いていきます...。

無為自然の極意、ありのままで、感じるがままで

 

古代中国思想家の大家、老子

 あなたは老子、という古代中国の思想家をご存知でしょうか?彼は現代の日本でも受け入れられている思想家、孔子儒学的な考えを否定して、むしろ逆の考え方を打ち立てました。ぼくはこの老子道教的な思想こそが、現代の荒波にもまれて生きる人々を救い、人生に疲れた心を癒してくれる考え方である、と考えています。 一体老子が考えた理想的な生き方とはどのようなものだったのでしょうか?

老子の思想と孔子の思想

 一度対極にある思想家の孔子の考え方を整理してみましょう。彼は人の中には必ず善の心が宿っている、それに基づいて仁義を、つまり正しいことをなそうとすることが人の正しい在り方であり、それを多くの人々が行うことができたなら、世の中は安泰へと向かっていくであろう。これが孔子が考えた世の中のあるべき姿です。これに対して老子は、「そもそも仁義や慈愛が必要とされる世の中なら、それは人の生き方がおかしくなっている世の中だ。」と対抗して、おぼろ気でありよくは理解できない存在であるけれども、偉大なる(タオとも読む)に従って、ありのままの自分で流れる水のように生きることが人の正しい生き方であり、それによっておのずと平和になっていく世の中こそ、人が真に追求すべき真理で治まっている世の中である。という思想を考えました。

なぜぼくが老子の思想を推奨するか

 ぼくがこの老子の思想が疲れた人々の癒しになると考えるのには、現代における行き過ぎた向上志向や欲望の過剰捻出が恐ろしいものであるという理由があります。今の世の中は目まぐるしく発展していっています。これは人間の欲望が底なしでありこのままだと満たされることが二度とないことを示しているかのようです。人はどんな環境であれ死に直面するほどの恐怖が続かない限り、やり方ひとつで自分の置かれている生活環境に満足をすることができます感謝の心を忘れず、満足して生きていこうと決意を抱けば、それだけで無意味とも思える生存競争のパワーゲームから抜け出すことができるのです。どれだけあなたが苦しい思いをして莫大な富を得ようと、夢などやりたいことにそぐわない、また富を得ても心に穴が開いているかのように満たされないのでは、苦しい思いをしただけ損になってしまいます。実際にぼくは年収が800万円を超えた時点でそれ以上年収が増えたとしてもその人の幸福度にプラスに作用することはないといったデータを本で読んだことがあります。競争に打ち勝ち大きな富を持ったとしてもその状況が真に満足ができるものでない限りは持つ意味がないのです。逆に言えばどれだけ生活が苦しくても、笑いがあり満たされているような生活は、その裕福な生活を凌駕する幸せがあることでしょう。

道に従い競争をしないことこそ癒しの第一歩

 あなたはもうほかの人と争う必要なんてないのです。自分が満足できるように毎日を生きていけば競争なぞしなくとも満足のいく生活ができます。そして疲れた人生の癒しの第一歩は、その競争社会から精神的にでも降りて、道に従いありのままで特に難しいことを考えることなく毎日を過ごす、こういったことから始まります。