人生に疲れた心を癒す、かびそうまのアローマブログ

ぼくでも、人生に疲れた人を少しだけでも支えられたらいいと思って書いていきます...。

ペットが死んでいなくなってしまうのは、命の尊さを教えてくれるから

 

好きな生き物の死との直面

 

 ぼくの好きな動物に、スキニーギニアピッグという動物がいます。この動物はモルモットの品種の一つであり、顔の前の部分にしか毛が生えていない珍しい品種です。ぼくはそんなスキニーギニアピッグの動画(ごはんですよ~ - YouTube)を見ては癒されていました。ある日動画についていたリンクを辿ると、飼い主の方のブログ(☆彡もるち~な毎日♡)に着きました。そのブログは更新が何年もされておらず、不思議に思って最後の記事を読んでみると、そこにはぼくの好きなスキニーギニアピッグが死んでしまったといった訃報が書かれていました。飼い主の方には至らないかと思いますが、ぼくもまた悲しい気持ちに包まれました。でも、別の日にイギリスのある格言と出会って、ぼくたちが買うペットがなぜ死んでいくのか、彼らの死の意味を理解することができました。それをお伝えします。

ペットたちの命の輝き

 

 その格言をざっくり要約すると、ペットが死ぬのは、彼らが自らの命をもって飼い主に生き物のそれぞれが持つ命の尊さを教えるためだ、とありました。このブログを読んでくださる方々の中にもペットを飼っている方もいるかと思います。ペットはいつか死んでしまいますよね。その時には言い表せないほどの大きな悲しみに包まれるかと思います。愛する者が死んでしまうということはそのようなことなのです。それは自分のみならず、他の誰でも悲しいものです。だからこそ、我々は自然体の自分をうけいれて、また友人のもそうでない他人のもありのままの姿を貴ぶことが幸せにつながっていくのです。人にちっぽけな人も全能に近しい優れた人もいません。ただ自分とかあなたとかの人格や個性があるだけです。だから他人に対して劣等感を感じることも、優越感を感じることもおかしな話なのです。もしそれらを感じてしまうようならば、自分に核を持っていないと言えます。自分の核を持たないまま、もしくは持たされないまま大人になったかもしれません。ひどい場合にはペットなど生き物の死から学んでいない恐れがあります。生き物の命がそれぞれ尊いのなら、自分のことを尊敬できるし、相手のことも尊敬できるはずです。自分や相手のことを尊敬する、ということはそのままの自然体を受け入れることであり、そこには優劣が存在しません。あなたはあなたのままでいいし、他の人は他の人のままでいい。受け入れることは辛いことかもしれないけれど、それでもあの子たちのかわいらしい生き様に応えるために、何より自分自身の幸せのために、受け入れようと思うだけでもいいのでするべきなのです。

 

自分もあなたも尊い命を持っている

 

 ここ最近高速道路でのあおり運転によって引き起こされた事故、それによって人が亡くなってしまうなど、痛ましい出来事が起こっています。それは人が自分を含め誰も受け入れられていないが故に起こっているとぼくは思います。ペットも愛する人もいつかは滅びてしまう無常の世の中、だからこそ自分を受け入れ、それによってほかの人も受け入れることによって、余生においての真の富である幸せが享受できるのだと思います。ペットたちがぼくたち人間に最期に語ってくれることは、そんな命の尊い輝きなのです。