人生に疲れた心を癒す、かびそうまのアローマブログ

ぼくでも、人生に疲れた人を少しだけでも支えられたらいいと思って書いていきます...。

満足して生きていくため、無為自然に生きよう ①

 

ブログのテーマにもある無為自然の教え

 

 このブログのテーマには、タオイズムや老荘思想を信じて生きていく、といったテーマがあります。それに関した記事もよく書いていたと思います。でも、そもそも無為自然とはいったいどのようなものか、ぼくのつたない文章力も相まってご存じでない方もいらっしゃるかと思います。この記事では、無為自然とはどのような概念でぼくたちの生活にどう関わっていくのか、また、その重要さを説いた老子にぼくがなぜ心酔していったのか、説明していこうと思います。

無為自然とは何か

 

 まず、無為自然の考えについて説明していきます。無為自然とは、文語体に直すと、つまり漢文だった元の文を古文の形へと直していくと、「為すこと無く、自ずと然り」という文章になります。これを現代文の形、つまり口語体に直すと「ことさらなことはせず、無理をすることなく、自然とそうなっていく」という訳文になります。つまり、あれしよう、これしようと心に次の欲求を溜め込みかなえるために働くのではなく、何か大いなる自然のエネルギーに導かれるかのように、自然の流れに身を任せていく。これが幸せの道なのだ。この訳文を踏まえてぼくが重要だと思った部分を自分の言葉を使って直しました。この考えに従っていくとぼくたちの生活は自然に近づいていき、そして幸せに近づいていきます。それはなぜか。老子は人間は自然の一部でしかないので、自然に近づいていくことが幸せであると考えていました。これらの考えには、過去からより一層加熱した競争社会の虚しさや、どれほど富を積んでいっても結局のところ満たされることはないという真実が根幹にあります。その根幹部分に共感し、引かれたからこそぼくは老子に心酔しているのです。

ぼくが老子にハマったわけ

 

 では、どういった考えのもとでぼくは老子の教えに共感したのでしょうか。ぼくたちが生まれたこの日本という国は、先進国で、その先進国の中でもお金を非常に稼いでいるような国です。稼いでいるということはお金を持っているということで、ぼくたちの一般的な考えである資本主義的な考えからすると幸せ感も付随して高くなければ、お金を持ち好きなものを買って、それに囲まれることが豊かな生き方であるといった資本主義国の理論は間違っている、ということになります。ぼくが思うに、この国ははっきり言って不幸や絶望が蔓延していると思います。それを如実に表すのが自殺率です。日本の自殺率は人口の19.5%と他の先進国に比べて非常に高く最悪レベルというのが、他の国の人々の見解です。実際問題、世界保健機関(WHO)の2013年以降の自殺率を各国悪い順に並べると、リトアニアや韓国、スリナムスロベニアに次いでハンガリーとの同一5位です。韓国を除く他の国々は元社会主義国であり風土的に自殺が多くなる厳しい環境ですので、自殺率が高くなってしまうことには、論理的には理解できます。しかしながら、戦後すぐに政界に大きな改革がもたらされ、平等と資本主義の社会となった日本でこれほどまで自殺率が高いという結果には、今の生活も社会もイデオロギーも間違っており、ぼくたちのライフスタイルも、ぼくたちの生きる社会も、両方に見直しが必要であると思わざるを得ないのです。そこで出会ったのが老子の教えです。この教えは日本に蔓延している根性や努力をもってお金を稼ぎ幸せな家庭を築くといった考え方を否定し、人為的にあれこれしようと考えずに、ありのままで生きることの大切さを説いています。これこそが真実と、いま苦しんでいるぼくたちを救う一筋の光と思ったので、ぼくは心から無為自然の教えが素晴らしいと信じることができるのです。

 無為自然の教えはただあることを許してくれるような、懐の深い教えです。その温かさをこのブログで伝えていきたく思います。