人生に疲れた心を癒す、かびそうまのアローマブログ

ぼくでも、人生に疲れた人を少しだけでも支えられたらいいと思って書いていきます...。

過去の恐怖に心を支配されても、いつか晴れる日は来る。

 ついこの間まで、ぼくはこのブログを書くことを誰かに強制されているかのような、閉塞感と恐怖におびえてパソコンを立ち上げることができませんでした。ぼくは早く自立しろと、友だちや親に言われていました。でも、ぼくはそのような言葉を、ぼくを思ってのものではなく自分たちの保身のために発しているのだと思っています。もしぼくに本当に病気とともに歩んでいってほしいと思っているのなら、早く自立してほしいと思っているのなら、鞭を打つような言葉は逆効果です。なぜなら、そのような言葉は本人にとってプレッシャーでしかなく、やる気につながる要素がないので、おびえて動けなくなることが関の山だからです。現に、ぼくは今日までブログを書いて読者の皆さまの心の疲れを取りながら生きていくことに不安を感じていました。先々のことを考えさせられるような自立しろとの言葉は、先にありそうな恐怖を鮮明に考える癖がある人にとって、どれだけ苦痛になるのかが言う側の人はわからないのだと思います。大切なことは今ここに生きることであり、先々の不安を恐れていると、脳が委縮してしまいます。このことは科学的根拠も発見されています。

 しかし、その事実を伝えるには、両親には伝えることができるけれども、友だちの方は伝わる見込みも、伝える勇気もありません。両親とは違って、ぼくの友だちは独善的で自分の考えを押し付けるような性格でした。彼とはとても親しくしていましたが、社会の風潮がその友情を引き裂いたのか、あるいは彼はもともと頑固だったのか、知る由もありませんが、彼はぼくが学校を卒業した後は上記のような性格になってしまいました。あまりの言い草に彼との電話の途中で過呼吸になったこともありました。しかし、彼はそれでもしっかりしろとの一点張りで、言うことを変えません。そんな友だちからの恐怖が根付いているので、今日まで更新がされることがありませんでした。

 ぼくは、誰かのせいでこうなったのだと父に話すと、人のせいにしないでとよく言われます。人のせいにすることで自分のしでかした罪から逃れようとしている、そう考える人の意見もわかります。しかし、その本人の言い分が正しかったなら、責任から逃れようとしている人たちは、むしろその人のせいだと示された人たちです。アスペルガー症候群も、うつ病も、心の疲れも、本人がなりたくてそうなったわけでは決してありません。何かしらの外的要因は必ずあります。それなのに人のせいにするなと言ったり、その人たちを責めたりけなしたりすることは、実に冷酷なことであり、その冷たさが正当化され罷り通るいまの世の中は乱れに乱れています。

 上記のようなことでこの記事を読んでいる心が疲れた人たちの悲しみを、小さいブログながら言わせていただきます。ぼくたちは、つらいです。ぼくたちは、苦しいです。助けてください。この文が誰かの目に留まって、何かを思っていただけたのなら、記事の作成者としてこの上ない喜びです。つらさが伝わったのですから。