人生に疲れた心を癒す、かびそうまのアローマブログ

ぼくでも、人生に疲れた人を少しだけでも支えられたらいいと思って書いていきます...。

貪欲な心では格差の渦に飲み込まれる。欲を少なくして楽に生きていいんだよ。

 

この世にはびこる”格差”

 

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 この世の中には、生まれたときに決まる格差というものがあります。格差とは、生まれた時に患う身体的要因や生まれた家庭での経済環境的要因により、社会階級(以下ヒエラルキーとします。)下の地位から上の地位に格上げすることが困難となっている状況を示します。このブログ内において、日本人は世界的に見てこのヒエラルキーにおいて上位である、と言ってきました。しかしながら、日本国内を見ると日本人の中でもこの格差は発生しています。働いても収入が足りず自分の子どもたちをいい学校に行かせることができない。その子どもたちも、さらには両親もまた”高い学費を賄えなければ勉強をすることがままならない”という社会の潮流に飲み込まれている。そのような、いうなれば理不尽な社会となっているのです。

”格差”は奪い合うもととなる

 

 なぜこんな理不尽な格差社会になったのでしょうか。それはヒエラルキー中流、上流に位置する人々が自分のためにもっとお金を使うべきだと幸せの意味をはき違え、社会を操作しているからに他なりません。彼らは自分たちの生活がこれ以上によくなるものと錯覚し、「まだ足りない、もっと欲しいものややりたいことがある」と貪欲な心を持っています。それは人間の生存本能のいき過ぎからくるものかもしれません。はたまた、ものを買ったりいい体験を買ったりして強引に自分の心の穴を補完することで幸せになれる、と自分以上のヒエラルキーに操られているからかもしれません。いずれにせよその間違いは他人にさえ影響を及ぼしかねない悪質なものです。この悪質な間違いゆえに獣の世界のみならず人間社会もまた弱い者たちが身を冒され強い者たちが蹂躙し続ける弱肉強食の世界となっているのです。ぼくは人の本質は協力することだと思っています。このような弱肉強食の獣社会同然な人の共同体しかないのなら、獣たちより身体にディスアドバンテージを背負っているからこそ、それ以外を成長させるべきであるぼくたちの脳はここまで成長する必要がなかったからです。よっていまの協力がないに等しい人の社会は何も考えない動物の社会と変わりないといえます。

自分が貪欲になっても人生はよくならない

 

 そのような社会でパワーゲームをして生きている人たちは往々にして貪欲な心を持っています。貪欲さを持つことが強食側に属する必要条件であり、これがないと野心的に強くなっていけないためパワーゲームに参加できません。しかしながら、この貪欲さはこれまた往々にして人を苦しめるものなのです。なぜなら、貪欲ゆえに自分の立場の向上以外には目を向けることができず、自分以上の強者に進行形で食い物にされていることや、他の人を蹴落として悪業を背負い続けていることに気が付かなくなるからです。前者のデメリットはわかりやすいものです。後者のデメリットは、アンパンマンばいきんまん然り、またUndertaleのGenocideルートヒューマン然り、悪業は往々にして”裁きを受け、その裁きがどのようなものであったにせよ残るものは虚しさだけである”というやはり幸せな人生とは程遠くなるのです。したがって貪欲さを糧にしてこの社会に挑んでいったとしても、自分の充実した人生という観点からしてみればそれはむしろデメリットにまみれているのです。

強い者が勝ち続け、それ以外が負け続ける。戦う意味はないのでは?

 

 そもそも、この社会の経済行為のほとんどは、先駆者や富豪などもともとヒエラルキーの上位に属する人々に有利なものが多く、新規で参入する人たちを拒否するだけで自分の立場が盤石になります。そのようなそもそも強者が有利な社会では少し考えるともう勝負する気概が起きないものです。勝てないゲームはよくクソゲー呼ばわりされますが、そのようなつまらないルールでゲームを続けたいようなプレイヤーはそういません。同じようにどうやってものし上がる確率が低いこの社会で競争をすることは自らの幸せを否定することに他ならないのです。このように貪欲さを持っていては格差を生み出し、また生み出された格差に飲まれていくのみです。

これ以上ものはいらない。楽に生きていいんだよ。

 

 それならば、競争社会で強食側につくことを諦め、貪欲な心を手放して、競争から下りてみてはいかがでしょうか?これならば上記で述べた不幸の連鎖に飲み込まれることがありません。これらは貪欲な心ありきで起こるものだけだからです。不幸が起きなくとも考えようによっては今の時点で持っているもので幸せになることは充分にできるのです。なぜなら、あなたにとって必要なものをもうあなたは持っているのですから。食べ物も、おしゃれな洋服も、雨漏りせず安全な住居もあなたは持っています。現代日本にはそれ以上のものも多く、あなたはその恩恵を受けています。これ以上のものを求めるのならあなたの中の貪欲な心が暴走することでしょう。これ以上にものがいりません。だから欲しがる必要もなく、欲を少なくすべきなのです。