人生に疲れた心を癒す、かびそうまのアローマブログ

ぼくでも、人生に疲れた人を少しだけでも支えられたらいいと思って書いていきます...。

ずっと満たされたままでいることはできないから、こころを静かにして生きよう

 

今日いいことがあっても...

 

 あなたは今日いいことはありましたか?いいことがあったなら、非常に喜ばしいことです。おめでとうございます!しかし、勝って兜の緒を締めよ、といったことわざがあるようにその喜ばしい状態をずっと維持していくのは、残念なことにできません。人はずっと満たされていたいというのに、ぼくはその理想的な状態に対して不可能だという。これは一体なぜなのでしょうか?

喜び続けることができない理由とは

 

 それは、喜ばしい状態がエネルギーに満ち満ちた状態だとすると、エネルギーが満ちている状態は一種の緊張状態なので、たとえ喜ばしい緊張状態だとしても緊張が続くと人は壊れてしまうからです。緊張していることというのは、ギターなどの楽器の弦を強い力で両方に引いている状態ととても似ています。ギターを演奏している方ならご存知かと思いますが、弦をあまりに引き絞りすぎると、両方からかかる強い負荷に堪えることができず、鉄線だろうがぷつんと切れてしまいます。よって過剰な快楽の追求はむしろ負荷となり得るのです。せっかくいいことがあっても、そのいいことのために心を大きく乱されてはいけません。緊張にとらわれて心が疲れてしまいます。

コップから飲み物がこぼれるように、喜びも維持できない

 

 その上、幸せが満たされたにも拘わらず、それでもなお足りなさから喜びを追うものなら、器に注がれた水がこぼれていくようにせっかくできた喜ばしい時も崩れおちてしまいます。あなたが好きな飲み物をコップに注いでいるときにたくさん飲みたいがあまり注ぎすぎてこぼれてしまったら、もったいないと損をした気分になってしまいますよね?人の心のエネルギーもまた、あふれてこぼれることで損をしてしまいます。特に大きい損が「喜びの瞬間をずっと続けたいからと維持する」ことで心に幸せどころか負担をかけてしまうことですこの世に存在する万物はずっと動いています。水は高いことから低い所へと動く習性を持っていますね。人は動かないと死んでしまいます。一見静止しているものですら、内部で原子が帳尻を合わせるために動いているからこそ粒を集めて目に見えるような形で存在できているし、空間にはたくさんの原子が飛び交っていて、その一部を呼吸して吸収する。このように動かないものなどそうないのです。そんな中で動きを止めようとするなら様々な抵抗を受けながら踏みとどまらなければならない。だからこそ、何もしないことはつらいのです。これは心の動きを止める際にも同様のことが言えます。幸せを保ち続けるならエネルギーを消費します。心の元気やエネルギーが減っていったら体と同じように疲れてしまうのですそれでも表面上では喜んでいるから、こころが疲れてきていることに気付かない。これでは、快楽への追求心が壊れてしまい延々と快楽を追って周りが見えなくなりかねません。周りを傷つけ過ぎた挙句人が離れていってはせっかくの喜ばしい出来事も独り善がりで喜びが無くなってしまいそうですよね。このように、喜ばしい状態を維持しようとすると災難が二つも起こってしまいます。だから、喜びを維持することはできないし、それでもしようものなら不幸が訪れるのです。

”ずっと”喜びを追うべきではないが一時は喜んでいい

 

 ならば、”生きる希望や起こった幸運なんて結局のところ価値がないじゃないか”というのはちょっと待ってください。起こった幸運にはその場その場でなら羽目を外してまで喜んでいいのです。生きる希望にまい進することは立派な生き方であり、希望によって得られたものも喜んでいいのです。しかし、”ずっと”喜ぶことはできない。自然のルールに基づいて、喜ばしい過去は静かに忘れていくべきなのです。心を静かに戻すことができれば、喜びなどの感情の起伏に振り回されることが無くなり疲れることなく穏やかに生きることもかなうでしょう。

物理学の「慣性の法則」は人の心身にもある

 

 物理学にもある慣性の法則は、不思議なことに人の体や心にも備わっています慣性の法則とは、平たく言うなれば強い負荷をかけてでもその場に戻ろう、留まろうとする法則のことを指します。これが人に備わっているとはつまり、人も過去に大きな成功や挫折があった場合、周りの人たちや自分の心身に強い負荷をかけてまでその過去に囚われる、という法則があることを意味します。この留まる力によって心は疲れていくのですが、幸いにも人の慣性の法則は自然のそれとは違って”囚われていてはいけない”と意識を持ってさえいれば回避することができます。過去の栄華に囚われたくなる気持ちは法則的にも、ぼく個人としてもわかります。でも、それを手放すことで心についた重りを外すことができるのです。そうすることで人生が自由なものへと変わっていきます。

動かないならプラスにもマイナスにもならない。変わっていこう。

 

 変わることはその自然法則から外れるためのエネルギーを消費することでありとても労力のいることです。ただ、一度動き出せばどんどん物事が加速度的に動いていきます。だからこそ自分を変えるには理屈を並べるより動くべきです。今回では、静かに生きるために自分を切り替えていく。これは特に練習もないことです。すぐにでも取り組めます。動かなかったらプラスにもマイナスにもならないです。思い切った行動の中にも癒しはあるのです。