人生に疲れた心を癒す、かびそうまのアローマブログ

ぼくでも、人生に疲れた人を少しだけでも支えられたらいいと思って書いていきます...。

この世でいちばん優れているモノ、水をお手本に生きると癒され楽になれるよ

 

お酒の銘柄にもある教え「上善如水」

 あなたは日本酒を飲みますか?江戸時代の地名で言う越後、およそ新潟県のあたりでは上善如水というお酒が作られているらしいですが、その銘柄である上善如水とはそもそも諸子百家の大家老子の教典である「論語」に書かれた教えの一つであるのです。では、諸子百家とはどのようなものでしょうか?

諸子百家とは、そして孔子の教えとは

 諸子百家とは古代中国の戦乱の世に自分たちの思想や知恵を広めていった賢者たちのことを指しますが、その中でも儒学で有名な孔子は日本でも有名であり読者の皆さんでご存知の方も多い方と思います。そんな孔子の教えは人に本質的に備わっている正義感”仁”という心を活かして自分を律し他の人にも仁を持って接することで世の中は安泰になる、よって仁を元に正義感を磨いていこうというものでした。これははっきりというとぼくのブログテーマである”疲れた心を癒す”というものから外れています。なぜなら、仁とは完璧なものでなくてはならないので、それ以外の行いをすると罰せられたり非難されたりする点が、理由を持って外れた行いをしている者や完璧を目指すことができないもの、完璧なる仁が自分に合わないで苦しむ者を除け者にする排他的な考えだからです。

孔子の考えが心を疲れさせる理由

 体が疲れているときだけではなく、心が疲れているときもまた本来は休みを取るべきです。心の疲れ具合は過去の社会と現代の社会では大きく異なっています社会のシステムや仕事の内容が過去と比べて大きく変わったからです。その”過去とは違う働き方”において鬱々とした気分ではなじんでいる仕事も手に付かないでしょう。しかし、頭が過去のシステムに捕らわれているからか、心の疲れを理解できずに怠けているとか甘えているとか非情な言葉を浴びせてその人に追い打ちを仕掛ける人もいまの日本社会では多いと思います。その”怠けず、甘えず、とにかく働け”といった考えは前近代的な考え方であり、これこそ孔子が考えた”仁を磨く”という考えに近いです。いかがでしょうか?なんだか懐が狭い感じがしませんでしょうか?

心を癒す考え方をする老子

 この孔子の教えに待ったをかけたのが論語を遺した老子です。老子”この世の中で上へ上へと地位や富を追い求めていっても残るものは虚しさだけだという心が疲れていく仕組みに2000年以上も前に気付いていました。その上や完璧を目指す虚しい考え方が孔子の教えである儒学であるとして、”人の力で社会や世の理を支配するという野心的な指向はいつか破綻する、それよりも何事も自然に身を任せ、おぼろげながらそこにある「道(たお、とも読みます)」に従って生きるのが人として正しい生き方だ。ことさらな行いをせず、ああしようこうしようといったわざとらしいことをしないで、ありのままの素朴な自分で生きることで、その道に従う生き方ができる。それが人として正しい生き方だ。”と説いたのです。

上善は水の如しの意味とは

 そんな疲れた心を癒してくれるような、楽で懐の深い生き方を推奨している老子の教典「論語」にある言葉こそ『上善は水の如し』、つまり上善如水なのです。この言葉は現代日本語に訳すと「最もすぐれているのは、水のようなものだ」という意味になります。なぜ老子は水こそがこの世でいちばん優れていると考えたのでしょうか?それは、水はすべてに恵みを与えてくれるものでありながら、争うようなことをせず、それでいて誰もが嫌がるような低い立場にとどまっている、という水の本質が人の理想の生き方である”大いなる自然の源とされる道に従って生きる”生き方にとても近いと考えたからに他なりません。誰もが望む高い立場を求めて、誰かしらを蹴落としながらも争い続ける。こんな競争にまみれた生き方をしていたら心が疲れてしまいますよね。それでもって争いの中で何かを得たとしても、それで満たされることはほとんどなく、また高い立場を目指して争いに身を投じる。つまり、争いに躍起になっている間は満たされることがないので幸せになれないのです。これでは目の前にニンジンをつるされていて、それを食べようと追いかける馬と変わりありません。そのような苦しい生き方をするくらいなら、低い立場でも構わないと甘んじてまで争いから下りるべきなのです。もしあなたが争いから下りて低い立場にいようがそれでもあなたです。なたの本質的な価値に変わりはないのです。それこそ、低い立場に甘んじることで水のように誰かに感謝されるような恵みをもたらすことができるかもしれません。

恵みを与える”低い生き方”

 誰かに喜ばれたいのなら、まず自分が満たされている必要がある。「夢をかなえるゾウ」(著者 水野敬也)におけるメンター”ガネーシャ”の最後の教えです。低い立場にとどまり、争いから下りることであなたの心の疲れは少しずつではあるけど癒されていき、心に空いていた何かも満たされていきます。心の穴が埋まっていったなら、誰かの苦しみをわかることができるようになっていくため、その苦しみを救いたいと手を差し伸べ、恵みを与えることができるのです。水をお手本にすることで、「争いから下りることができて」癒され楽になれる。このことを心に念じておけば、あなたらしい楽な人生が送れるでしょう。