人生に疲れた心を癒す、かびそうまのアローマブログ

ぼくでも、人生に疲れた人を少しだけでも支えられたらいいと思って書いていきます...。

人生でいちばんやってはいけないことは、周りのために諦めること

 

世の中に多く在る「可能性」を示す言葉

 あなたは、少しくらい頑固と思われるような粘り強さを持つ人ですか?はたまた、物事をすぐに見極めることができ、可能性が低かったときはすぐに身を引く人でしょうか?世の中には、潔いとか諦めが早いなどといった可能性に関する言葉がたくさんありますよね。ぼくは、その可能性を表す数ある言葉の中でも、諦めるという言葉が特に嫌いです。なぜなら、その諦めるという言葉に心を支配されてしまうと、できることもできなくなり、最悪の場合にはより長く生きることもかなわなくなる場合すらあるからです。

自分を諦めては、才能もなかったことにされる

 ときには潔さや諦めることも必要になるでしょう。でもその時は絶望に向かうための諦めではなく、むしろ自分の可能性を絞り、特化させて夢へとつなぐための、希望へと向かうための諦めでなくてはなりません。絶望によって諦めることは、その夢や欲しいものを諦めることではありません。それは自分の可能性を自らの手で閉ざすことであり夢やモノ以前に自分自身を諦めることなのです。自分自身を諦めてしまうと、せっかく持って生まれた才能を使うことができなくなります。その才能が類まれだとしても、使うやる気が起こらなくなりなかったことになるからです。有能な力は使ってこそ実現し、その力を人のために使ったなら感謝されるものです。そうなった時初めてに自分も周りも私って才能があるんだな、と評価できるのです。実現しない架空の才能を評価できるような人はいません。だから、もしあなたが自分を諦めようとしているならば、プラス思考になんてならなくて何ら問題ないので、諦めないように尽くすべきなのです。

諦めなかったからこその「社会の発展」

 これまでの人類の発展は”諦めない”ことによって成し遂げられてきました。太古の時代を生きた人は、ある時乾燥した森に雷が落ちて木々が発火し火を見つけました。その火というよく分かっていないものの発見は、近づくと熱いですが明かりになったり物を焼いたりと生活に欠かせないような大発見になりました。ここで言いたいことは”この時に火は近づくと危ないので追求するのはやめようと諦めていたら、いまの生活はあり得なかった”ということです。人は時に諦めることではなく諦めないことも必要です。それによって自分の、ひいては周りの人々の可能性も新しく開かれる時があるからです。その諦めないことは諦めることよりもエネルギーが必要なので様々な人が嫌がります。でも、あきらめない人には諦めない人にしか見えないような景色があります。それに魅力を感じるか感じないかは個人によって差があると思いますが、もし魅力を感じているにも拘らず、自分にはできっこないと楽ができる”諦める”という対応をするならその先の人生に幸せはないと思われます

あなたが自分の可能性を諦めたのは、あなたに理由がある

 失敗して、それで笑われて叩かれて、といった非常な仕打ちを受けるかもしれませんが、その仕打ちはあなたの信じる道の物理的な邪魔になり得ません。言葉以上のことをすれば法律によって逮捕されるし、そんなリスクを酔狂のために負うのは並の人ではできないからです。だから、誹謗中傷の言葉にはあなたを変えるほどの力はないのです。馬鹿にされたら嫌な気持ちになるだろう、そうお思いになる方もいらっしゃるかと思われます。しかし、それは馬鹿にされることで”その方が、自分自身を変えた”だけなのです。喜んでほしいとプレゼントを渡しても、相手の趣味にハマることなくいまいち喜んでもらえなかった。傷つくような言葉を無意識に発していて、申し訳なくなり謝ったが相手は特に気にしていなかった。人とのコミュニケーションでこのようなすれ違いは日常茶飯事で起こりますよね。このように人は他の人の心の動きを完全に操ることは困難を極めるのです。だから、あなたができないことだと諦めていることは、昔からあなたの周りにいた人たちから刷り込まれている嘘であることが多いです。

あなたの人生の主人公はあなた。諦めなくていいんだよ

 あなたの希望を妨げる人は、自分が持っていない希望を持つあなたが羨ましいので同じ絶望に引きずり込み自分をいい気分にしようと悪巧みをする人や、あなたと親しいがあまりあなたを放っておけず依存し、依存ゆえに信用できないあなたに幸せの在り方を押し付けるあなたありきの人といった人物です。彼らに邪魔されたといって、諦めていいはずがありません。あなたの人生の主人公はあなたです。これはよくある決まり文句であると同時に、いつも何かに影響され続けて生きている現代で忘れがちな教訓でもあります。もし自分が幸せになれそうにない、合わない道だと思ったなら、周りの声を振り切って「別の可能性を追いかけるために」いまの道を諦めて閉ざすことをしてもいい。むしろ過去を引きずらず前を向いて歩くための決算として、するべきことなのかもしれません。しかし、それが周りの声に蔑まれたからといって諦めることは、人生でいちばんやってはいけないことだと思います。他人の誹謗中傷ごときで輝かしい自分の希望を奪われようものなら後悔しながら死ぬことになりかねないからです。自分をありのままでいられるようにいたわりつつ生きる。こうすれば惑わされ主導権を失うことはなくなります。

真面目なあなたは、自分を諦めないためにわがままでも大丈夫

 大丈夫です。あなたは立派な人なので、その立派さを利用するといった、少しあくどいことをしても問題ありません。もちろん犯罪に触れるなど見るに堪えない迷惑をかけては積み上げた信用を失うためしてはいけません。ただ、エネルギーを溜め込んだ活火山のように、自分を押し殺し周りの人たちのために動きすぎても、それは自分のためにはならず、その依存に近い目的意識最悪の場合ですが周りに大きな迷惑をかけることも、小さな迷惑ならすでにかけていることもあります。それでも周りの人たちに恩返しがしたいなら、いまは無視してでも夢や可能性を諦めずに、ただ自分の才能を無理しない程度に活かす。これならば自分も生きていて楽しいと思います。自分の可能性を諦めることを諦めましょう