人生に疲れた心を癒す、かびそうまのアローマブログ

ぼくでも、人生に疲れた人を少しだけでも支えられたらいいと思って書いていきます...。

欲を心から満足できることだけに減らすと、楽に生きていけるよ

 

音楽フェスティバルに向かうバスを見て

 今日の昼間に街に出かけていると、若い人たちがぎゅうぎゅうに詰まったバスがぼくと逆方向に走っていきました。彼らは今日僕の住んでいる街で開催されるらしい音楽フェスティバルに参加するために、定員を10人ほど超えているバスに乗っているのだと思われます。ぼくとしては、”五感を満たすような快楽に入り浸りたい”といった欲求を自分の中で増やし続けると、自分が疲れ切って満身創痍になってもなお快楽を追い続けてしまい、結果として我が身やそれ以上の大切なものですら失ってしまう、快楽依存症を患ってしまう、と考えています。

五感を満たす快楽を追う”リスク”

 五感を満たすこと、例えば親しい友人と買い物に出かけて、お金を払い洋服やおいしい食べ物を買うこと(これによって視覚と味覚が満たされる)、今日のこの街で開催された音楽フェスティバルに参加して、大音量の音楽に心を揺さぶること(これによって聴覚が満たされる)などです。これらの快楽はたまに、なおかつ嗜む程度には行ってもいい、むしろコミュニケーションの場で役に立つと思われることなら行ったほうがいいとも思います。でも”たまに、かつ嗜む程度の少量”という条件を守ることができないなら、その快楽にハマり抜け出すことが困難になります。そうなると大切なものが欠けていき、穏やかで幸せな人生とはかけ離れてしまうのです。もちろん、それを踏まえたうえでハマっているという人もいるかと思います。そんな人は自分の生き方に迷いがないようならその生き方を続けていくべきです人生に絶対はなく、その中であなたの幸せを阻害していい人などいないのですから。しかし、その快楽を追う生き方に躊躇いや危険を感じているのなら、少しずつで何ら問題ないので欲求を少なくしていく努力をするべきです。

欲求を少なくするということ

 ここで「欲求を少なくして快楽に浸らないのなら、幸せはむしろ遠ざかっていくのではないか?」と疑問を持たれる方もいらっしゃるかもしません。しかし、ぼくがいう努力とは欲求を少なくすることだけではありません。もう一つあるのです。それは満足することを知ることです。これはあらゆることに妥協をすることではありません。ただただ今いる自分に満足したり、今持っているものに満足するということなのです。あなたは日本に生まれた時点でありすぎるほどにものに囲まれています。それでも視点は快楽欲求によって破壊され、いつのまにかあるものではなくないものばかり見ている。あるいはあるものを見る視点は、周りの人たちに置いて行かれたくないという恐怖によって破壊されたのかもしれません。あなたは今のままで充分なのに、どうしてないものばかり探しているのでしょうか?まるであくどい刑事の粗探しのようです。しかし、時に人はどういった行動をとれば現状から抜け出せなくなるのかわからなくなる時があります。少なくともぼくはそうでしたので、ほかにそういった方がいらっしゃるなら、その頭が真っ白になりフリーズする感覚がわかります。そんな方に、ぼくが僭越ながらヒントをお教えします。このヒントをそのままお使いになっても、自己流に直してお使いになっても、あなたの役に立てれば本望です。

ぼくが見つけた本のヒント”あるある探検隊ゲーム”

 さて、快楽から逃れるヒントとして、ぼくはあるある探検隊ゲームといったゲームをプレイすることをお勧めします。このゲーム自体は”神様とのおしゃべり”(著者 さとうみつろう)という本が初出なのですが、書き込めるものを用意して、そこに自分が生活している部屋で目につくものの単語を書き、その単語の後ろに~があるという3文字をくっつける、というゲームです。(これはむしろゲームより訓練に近いですが...)これによってとにかくあるものが多いことに気付きます。たしかにないものもあります。でもあるものだって多いのです。そのあるものに満足することで、あなたは快楽欲求に縛られない人生を過ごすことができるのです。これは簡単でかつあっという間に終わるゲームなので、空いた時間に覚えていたなら、だまされたと思ってやるくらい気軽に行うのがちょうどいいと思います。

 

 あるものが多いことに気付いて、それに満足すれば欲が少なくなり、楽に生きていける。快楽を増やすことだけが、幸せへの道ではないのです。