人生に疲れた心を癒す、かびそうまのアローマブログ

ぼくでも、人生に疲れた人を少しだけでも支えられたらいいと思って書いていきます...。

あなたが自分に強制するべきことなど、ひとつもない。

 

この間のニュースにて

 この間ぼくは、仕事に対して”苦しい”という言葉では収まり切れないほど疲れ切ったあげく、臨界点を超えて命さえも落としてしまう方がいることをニュースで知りました。辛いことがない人生はありませんが、辛いことしかない人生には生きていく希望がありません。自殺を選んでしまった、あるいは選んでしまいそうな人たちはおそらくこの辛いことしかない人生になってしまったのでしょう。なぜ、彼らはそれほどまでに人生に疲れてしまったのでしょうか?

人生に疲れる理由とは

 人生に疲れた理由の一つに、自分自身が自分に何か嫌なことを強制している」といった理由が上がります。例えば、職業において重要なポストを任されたとき、「この仕事は私が完遂する”べき”なのだ」といったように、~するべきや~しなければならないと思い込むことで自分の思考に強制をして、無理やり行動と思考を一致させようとする試みが、嫌なことの強制に、つまり人生に疲れ切る原因になり得るのです。ぼくは、なぜ死ぬまで嫌なことを自分の体や頭に強制するのかがわかります。

ぼく自身の過去と強制することとの関係

 実をいうと、ぼくは中学一年生のころにいじめをうけ、こころがぐちゃぐちゃに歪んでしまって薬に頼らなければならない状況に陥った時がありました。そのころから、頭ではわかっていながら、周りの人たちから与えられた”不安”が事あるごとにぼくをむしばみ、その不安から自分の行動や言動に強制をかけることが多々あります。不安がぼくを支配するので、その不安から逃れるために、周りの人たちからの抑圧を躱すために自分に強制をかけてしまい、ぼくの本来の姿や思考がわからなくなり、強制されていることすらわからなくなり、よその世界には希望や知らない楽しみなどいくらでもあることを忘れてしまうのです。~するべき、~しなければならないといった考え方は自分主体の自由な人生において害悪でしかありません。しかし、ぼくはそういった考え方をする人たちはその考え方をしたくてしているわけでは、毛頭ないこともまた知っています。彼らには面子があり、矜持があり、富や名声があって、そしてそれらを失いたくないという恐怖があります。彼らにとって積み上げてきたものを彼ら自身の手によって破壊することは、どれほど苦痛であることかは想像に堪えません。

生きるための「破壊的イノベーション

 しかし、ぼくは彼らがいまは生きて生を楽しみ、死ぬべくして死ぬ時まで笑った時の総数を増やすためには心を鬼にしてこう伝えたく思います。「辛いことは重々承知していますが、生きるために勇気を振り絞って、自分が作った自分への強制に立ち向かいましょう。そのために、積み上げてきたものを壊すことを厭ってはいけません。生きてこそのあなたの人生なのですから。」”「超」東大脳”(著者 茂木健一郎)のあるページには破壊的イノベーション、といった言葉が書かれています。この言葉は積み上げてきたものを否定して破壊してこそ、行き詰った道に変革をもたらす、という意味を持っています。スティーブ・ジョブズやジョブ・ベゾス(Amazonの創業者)といった実業家たちが使った手法であり、言わずもがな彼らはそれでぼくたちの生活を豊かにしてくれました。彼らのように積み上げてきた価値観を壊すことはとても難しいことです。しかし、このことから逃げてしまっては残された道は死しかありません。とても厳しいことなのですが、死んでしまってこそ積み上げてきたものが一つももれなく役に立つことはないでしょう。生きてさえいれば辛いことに立ち向かった経験をほかの人のために役に立たせることもかないます。ぼくは簡単なことでほんの短い時間で絶望に打ちのめされることも今でもありますが、そういったときはとにかく無理をしてでも、とても強引だったとしても休みを取ります。他人あってこその富や名声ではありますが、それ以上に自分あってこその人生です

この世界は広い、だから希望を持って

 生が否定されてはいけないといった自己中心思考の意見は好きではありませんが、世界には日本のおよそ70倍もの人々がいます。それほどの物語や世界があるのです。日本にはそれの1%より多いくらいの世界しか広がっていないのに、それだけで全てをつまらないと否定して人生に幕を引くなんてもったいないと思うのです。かならず、よその世界には希望があります。でなければ先進国の自殺率が日本と同等レベルまで上がっていなければつじつまが合いません。だから、大丈夫、なのです。死ぬくらいなら、どうせ死んでしまうのなら一日くらいすっぽかす勢いで休みを取っても問題はありません。あなたが過労が原因で亡くなってしまったら、企業は従業者を殺したと体勢がとても悪くなるのでよほど経営能力に欠けていない限りあなたを休ませざるを得ないのです。だから、大丈夫、です。休む決心が、自分の人生をつかみに行く決心がついたなら、ぼくはこう伝えたく思います。「いってらっしゃい、良い旅路を!」(嫌なことの強制については、違う話題をもとにぼくの別の記事でも触れています)

 

kabisouma.hatenablog.jp